鎌倉(2008.12.5)

Photo by かずママ

鎌倉の紅葉と、ヘルシー料理を求めて、女4人旅。
午後から天気が悪くなる予報だったので、この時期の鎌倉にしてはガラガラ?

9時半 鎌倉駅に集合して(/*⌒-⌒)o レッツゴー♪

寿福寺

建長寺派 正式には亀谷山寿福寺金剛禅寺
鎌倉五山第三の寺。
(鎌倉五山・・・建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺)
北条政子が1200年臨済宗の祖栄西を招いて頼朝を供養するために建てられた寺。この地一帯は頼朝の父善朝の屋敷跡とされる。
墓地には3代将軍源・実朝・北条政子の墓と伝えられる唐草やぐらがあり、文学者高橋虚子・大沸次郎・星野立子らも眠っている。

鎌倉市扇ヶ谷1-17-1



この中門から先は非公開


門の外からパチリ!


山門横の紅葉


イチョウも真っ黄色!



英勝寺

現存する鎌倉唯一の尼寺。家康の側室であったお勝の方が家康没後落飾して英勝院と名乗り、祖先太田道灌(室町中期の武将・歌人であり築城や兵馬に長じた)屋敷跡に創建した。英勝院没後、水戸家の姫君が代々住職を務め「水戸御殿」と言われた。



鎌倉市扇ガ谷1−16−3
拝観料 300円





裏庭は普段立ち入り禁止?
お寺の方?工事の方?が、
紅葉が綺麗なのでどうぞ。と。。。
ラッキー♪



この竹林の中に、彼岸花が咲くんですって。

竹と彼岸花、素敵かも(o^-^o)




阿仏尼の墓

阿仏尼は藤原定家の子、為家の後妻で和歌の師範令泉家の祖・為相の母である。
為家没後
遺産相続で先妻の子と実子為相が争い訴訟のため京都から鎌倉(今の極楽寺辺・月影に庵を構えた)へ下る。
この時の日記紀行文が「十六夜日記」

正面は海蔵寺


道路脇の水路



海蔵寺
山号を扇谷山という。鎌倉公方足利氏満の命令で上杉氏定が1394年に再建。
開山は心昭空外(源翁禅師) かなづちを“玄翁”と言うのは、この和尚の殺生石の伝説から。
本尊の薬師如来像の坐像胴体部分に、もう一つの薬師の顔を納めた啼き薬師・児護薬師とも呼ばれる。
建物の中で一番注目されるのは、江戸時代に建てられたという茅葺きの庫裡。庫裡建築の代表である。


鎌倉市扇ヶ谷4-18-8



境内


境内(茅葺きの庫裡)


底脱ノ井
鎌倉十井の一つで、海蔵寺の門前にある。


海蔵寺は拝観無料だが、
十六ノ井のみ100円


化粧坂

鎌倉七口の一つで、気和飛・気生・形勢とも記せられる。

平家の武将の首を化粧して首実験にした処だからとか、遊女が住んでいたからと言われるが定かではない。
1333年新田義貞は一軍をここに向けて進入して激戦地となった。
国指定史跡



源氏山公園


源頼善・義家親子が前九年の役で奥州征伐に出征する時、白旗を立てて戦勝を祈願したと言われる。
公園中央には鎧を付けた頼朝の銅像が建っている。














銭洗弁天

頼朝の夢枕に人頭蛇身の宇賀福神が現れ、
「この地に湧く霊水を巳の日に供えれば天下太平になる」と告げられた。これを祀った。境内奥の岩窟の中に湧きだす名水・銭洗い水で銭を洗えば、お金が増える言い伝えがある。


鎌倉市佐助2-25-16






岩窟内


TAKUさんも銭が増えるかな?





佐助稲荷


伊豆の蛭小島に流された頼朝が病に倒れた時「かくれ里の稲荷」神霊が夢に立ち挙兵を勧めた。頼朝はこの託宣に従い兵を挙げて戦いに勝利した。のちに畠山重忠命じて建立したのが佐助稲荷。頼朝は幼い時「助け殿」と呼ばれていたことからも、頼朝を助けたので「助け稲荷」とも言われていたからか?

鎌倉市佐助2-22-10





リスに遭遇



のんびり歩いて約2時間の散策の後は・・・

大根料理の
福来鳥

神奈川県鎌倉市佐助1-13-13
TEL 0467-22-1377
福来鳥

前菜
真ん中は大根のビール漬け


大根ラスク


福つくね

ふろふき大根


鯵サラダ・大根スープ
大根ご飯・大根の漬物


大根汁入り寒天



鶴岡八幡宮

大銀杏がちょうど見頃








源平池

鎌倉市雪ノ下2-1-31
保育ルームネットワークの仲間での鎌倉の旅

先日仲間入りした方が鎌倉在住だったため
今回鎌倉を案内して頂きました。
今日のために→のガイドブックまで作成してくれました。
レポ中の説明文は、このガイドブックから引用



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