三渓園 (2006.4.18)

Photo by かずママ

三渓園は「原 三渓」の元邸宅。京都や鎌倉などから歴史的に価値のある建築物を移築し、昭和39年【三渓園】として一般に公開しました。175.000uの園内には、10棟の重要文化財を含む17棟の古建築物が四季折々の自然の景観の中にたくみに配置されてます。
第二次世界大戦では大きな被害を受けましたが、昭和28年原家から財団法人三渓園保勝会の手に移されたのを機に復旧工事が行われ、5年後にはほぼ昔の姿を取り戻しました。


入場料 大人500円 子供(小学生)200円

横浜市中区本牧三之谷58番1号
TEL 045−621−0634・5


三渓園


正門付近から大池を望む



鶴翔閣(旧原家住宅)
横浜市指定有形文化財

原富太郎が明治30年代に自邸として建てた住宅で、楽室棟・茶の間棟・書斎棟・客間棟・仏間棟・倉などの建物群で構成されています。
この建物は居住用と来客用の機能をあわせ持ち、横浜市域の近代和風建築を代表すると共に、横山大観ら日本美術院の作家たちがたびたび出入りし、近代の日本画壇に大きく貢献した記念物としての価値も認められます。
御門
横浜市指定有形文化財

この門は、京都の西方寺に宝永5年頃造営され、大正初期に三渓園に移築されたものです。規模の大きい薬医門(本柱の後方に控柱を建て、前へ桁を持ち出し、棟は本柱寄りにある門)の遺構として貴重なものです。




臨春閣
重要文化財

この建物は、紀州候初代の徳川頼宣によって慶安2年に、和歌山県那賀郡岩出町の紀の川沿いに建てられた夏の別荘巖出御殿といわれています。8代将軍吉宗は幼時この巖出御殿に育ち、亨保元年に将軍となりました。またこの建物は数奇屋風書院造として、宮家別荘桂離宮と共に我国住宅史上において別荘建築の双璧といわれています。
三渓園には大正6年に移築されました。
旧天瑞寺寿塔覆堂
重要文化財

寿塔とは長寿を祝って生存中に建てる墓のことです。豊臣秀吉は、その母大政所が大病にかかったとき、その平癒祈願のため京都大徳寺内に天瑞寺を建てました。功験あって平癒したのを喜び、母の長寿を祝って天正20年石造の長塔を建てました。
この建物はその寿塔の覆堂で、明治35年三渓園に移築されたものです。なお寿塔は現在大徳寺内、竜翔寺にあります。





聴秋閣
重要文化財

この建物はもと三笠閣と呼ばれ、元和9年3代将軍家光が上洛に際し、佐久間将監に命じて京都二条城内につくらせたものといわれています。その後これを春日局に賜わり、江戸稲葉侯邸内に移され、三渓園には大正11年に移築されました。
春草廬
重要文化財

この建物は、もと京都黄檗宗の三室戸寺金蔵院にあった月華殿に付属して建てられていた茶室です。三渓園には大正7年月華殿と共に移築されました。窓が九つあるために九窓亭と呼ばれていました。
信長の弟・織田有楽斉が建てたものと伝えられ、三畳台目の茶室です。




蓮華院

この建物は、原三渓が大正6年に建てたもので、六畳と二畳中板の茶室があります。土間と壁には宇治平等院鳳凰堂に使われていた太い円柱と格子があります。
蓮華院横の竹林に、たけのこがニョキニョキ
美味しそうだなぁ〜〜〜

風情ある建物より
やっぱり食い気のσ(^_^)アタシ




旧燈明寺本堂
重要文化財

燈明寺は現在廃寺となっていますが近年まで京都府相楽郡加茂町に所在した日蓮宗の寺院です。寺伝によりますと聖武天皇の勅願によって天平7年に開創されたといわれています。この建物は、様式上、室町時代初期に建てられたものと推定されます。昭和22年の台風で被害を受けた後解体し保存されていましたが、昭和62年に三渓園に移築されました。
旧燈明寺三重塔
重要文化財

この建物は、もと京都府加茂町の燈明寺にあったものを大正3年三渓園に移築したものです。寺伝によりますと燈明寺は天平7年聖武天皇の勅願によって建てられた寺院とされています。建物の様式などから、室町時代に建てられたものと推定されます。関東では最古の塔です。




合掌造・旧矢箆原家住宅
重要文化財

この建物はもと岐阜県大野郡荘川村岩瀬(白川郷)にありました。江戸時代宝暦年間飛騨三長者のひとりといわれた岩瀬の(矢箆原)佐助の家として飛騨高山の大工によって建てられたと伝えられています。
御母衣ダムの建設によって湖底に沈む運命になりましたので、所有者矢箆原家から三渓園に寄贈され、昭和35年移築されました。
この建物の特徴は、左半分が式台付玄関をもつ書院り、右半分が普通農家の造りで、左右で全く異なる形式構造をもっていることです。これは上流農家の平面を示しています。屋根は入母屋造りで、火灯窓が珍しく、この家の格式の高さを物語っています。
旧東慶寺仏殿
重要文化財

この建物は、室町時代永正6年直後に再建された鎌倉東慶寺の仏殿です。明治40年三渓園に移築されました。
東慶寺は弘安8年北条時宗の妻覚山尼が創建した寺院で駆込寺あるいは縁切寺として有名でした。




横笛庵

高倉天皇中宮建礼門院に仕えた横笛と平重盛の家臣滝口入道との悲恋は有名です。
横笛は寺にこもり入道から送られた千束の恋文をもって己の像をつくりました。その像がこの庵に安置されていましたが第2次大戦中に被害を受け失われてしまいました。
林洞庵

この建物は、昭和45年に宗?流洞会から寄贈された茶室です。屋内には流祖山田宗?筆“林洞”の板額があります。





珍しく 花の写真のないページ(笑)
たまには こんな場所を のんびり散歩するのもいいね
このページを作る為に、今まであまり興味のなかった建物みたり、
勉強になりましたぁ

↑の建物の説明文は、建物横に立ってた看板?からのものです


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